『中世の秋』 ホイジンガ
『透きとおった悪』 ジャン・ボードリヤール
『誰も読まなかったコペルニクス』 オーウェン・ギンガリッチ
『グーテンベルクの銀河系』 マーシャル・マクルーハン
『ユートピア』 トマスモア |
003 像なるもの ◎ここではルネサンス以後の像について流れをスケッチしておく。 ◎ルネサンスの像はなんといっても絵画と彫像と建築だった。聖書や神話が像となり天使の絵がひろまる。ダ・ヴィンチやラファエロをはじめとして誰もが天使を描く。それはどこか人間すら連想させるリアルな像だった。誰かが天使を見たわけではなく、天使を見ようとした。描かれる天使の姿はみな似通っている。それだけすでに「天使」の像が社会にいきわたっていたということでもある。 ◎ルネサンス期に都市化がはじまる。それこそ現代の都市とは似つかないが、社会的に仕事が分業され、生産と流通と消費がわかれ、それぞれの職業が確立していく。この都市的なるものにも注目しておきたい。都市以前の生活空間に比べ、空間そのものが仮想化されている。ボードリヤールの言葉を借りれば生活空間がハイパーリアル化している。都市は人が住む像である。 ◎やがて蒸気機関が発明され、自動で動く機械が登場する。これは都市化で生まれた職業をさらに仮想化し、社会のなかで効率的にはたらくものとした。機械化の速度は目覚しく、地上の風景を一変させる。機械化以後はそれまでの時代に牧歌すら感じてしまうようになる。 ◎そして印刷術が登場する。印刷術は活版印刷技術と活字からなる。写本にはいつも人の痕跡が残っていたが、活字になると人が消失していった。同じ文が自分の肉筆とワープロでまったく異なる文に見えてしまう。このとき言葉の仮想が生まれ、仮想によって言葉の像が共有されるようになる。 ◎小説や文芸が誕生するのはすべて印刷術以降である。それまでは神話であり、物語であり、御伽噺であった。小説や文芸が言葉の仮想のうえに成り立っていることをこころにとめておきたい。印刷術がうまれる前までは、絵画や彫像や建築のなかにこそまだ見ぬ像があった。 ◎そして地動説が広まる。コペルニクスの『天球の回転について』は初版が400〜500部、第2版が500〜550部印刷されたと推定される。天動説はセンセーショナルに語られることになるが、このひろまりかたは仮想化された言葉の力だろう。1616年、ガリレオ・ガリレイに対する裁判がはじまる直前に、『天球の回転について』はローマ教皇庁から閲覧一時停止の措置がとられる。 ◎地球が球体であることを知ったときに旅は消える。地球の一点から遠ざかれば、その一点に再接近する。ひとつの像の終焉。そして自分では見ることのできない球体の地球の像を結ぶ。 ◎おそらくそのころ、社会が都市の仮想として現在に通じるかたちをもちはじめる。社会は機械・都市・印刷で生まれた様々な像を育む場となる。そして国家が権力者の象徴ではなく社会の上位に君臨する像としてはたらきはじめる。 ◎現実と仮想のあいだに人が挟まれる。それまではポケットに入れて持ち歩くほどの仮想だったのだが、都市・機械・印刷術によってむしろ仮想によって現実がつつまれるようになる。 ◎写真術が発明される。はじめはカメラ・オブスキュラのように外の像を内に映すものだったが、やがてそれを印画紙に定着させるようになる。すると誰もが同じ光景をいつどこでも目撃できるようになる。光景という像は、自分の外に結ばれる像で社会の像としてはたらきはじめる。 ◎そして映画が登場する。写真はリアルな絵であったが、映画は網膜上を流れる像そのものだった。映画を見ていると、つい仮想の世界にひきこまれ、まるで自分が仮想の国の住人であるかのような気がしてくる。映画が終わると現実の世界に戻ってくる。この落差を人々は愉しんだ。 ◎テレビが登場する。リアルタイムで動く像が誕生する。いま地球の裏側で起こっていることがそのまま像となって配られる。リアルタイムの像が一息に心になだれこむ。赤ん坊も犬もテレビを見つめる。こころと仮想の区別が少し曖昧になる。ビデオが発明される。フィルムに比べて格段と網膜の像に近づく。解像度が高くなることによってリアルさが強化される。 ◎そしてコンピュータが発明され、機械が仮想化を果たす。機械も像となって社会を流通する。さらにインターネットが登場し、言葉と映像を仮想化し新しいリアルさをもたらす。やがてインターネットはコンピュータの仮想化を果たすはずだ。すでにその実験ははじまっている。もはやこころではとても処理しきれない像が社会をつくっている。 ◎思いがけずユートピアであったはずのものは実現されてしまい、ユートピアは仮想の領土となる。人はとぎれることのないフィクションのなかで暮らしている。 ◎ところでパウル・クレーの天使はどこにいったのか。 |