眼の誕生
アンドリュー・パーカー



ビジョン
デビッド・マー



共在感覚
木村大治



利己的な遺伝子
リチャード・ドーキンス


002 こころ

◎こころははじめからあったわけではない。はじめにあったのは感覚だろう。まず味覚と触覚と嗅覚と聴覚があった。これらの感覚がどのような順序で立ちあがったのかはまだはっきりしない。これらの感覚は外界からの刺激として緩やかに統合されていた。感覚といっても現在の人に見られるような繊細さはない。ゆらゆらと重なりあうほどのものだろう。これならAI技術でも実現できそうだ。まだそれほど大きな脳は必要としない。このゆるやかに感覚が重なり合う感覚がこころの原初になる。

◎カンブリア紀に大事件がおきる。おそらくは海が明るく、様々な影がそこかしこを横切るようになったからであろうが、三葉虫に眼が誕生する。眼の誕生によって視覚が生まれ、像を結ぶようになる。いままで味覚や触覚や嗅覚や聴覚でもとめていた餌が手に取るように見えるようになる。少しずつ餌に近づくのではなく、餌めがけて一直線に動けるようになる。餌にとっても事情は同じだった。捕食者から逃れるためには眼が必要だった。そしてカンブリア紀の大爆発が起きる。

◎この像がこころの部品となる。原型としてのこころは像(イメージ)をもとに組み立てられる。そしてこの像を処理するために、脳が複雑化し、自己組織化する。そして構造化される脳でより高度な記憶や判断や動作が可能となる。これがこころの原型。爬虫類脳に連なっていく。

◎ときに像は過剰になる。いつもそこに餌が横たわっているわけではない。それでも絶えず像は結ばれる。そこに遊びが生まれる。遊びはこころを育てる。きわめてプリミティブであってもきっと三葉虫も遊んでいた。

◎生物が陸にあがる。陸にあがることで感覚はさらに鋭敏になり、さらに視覚が重要な役割をもつことになる。地上は海より遥かに明るかった。そして声を出すようになる。声を空間にみたすことで、自分という空間をつくる。これがいまもピグミーやボンガンド族に見られる「ボナンゴ」だろう。犬の遠吠えや鳥の囀りにも同じ由来がひそんでいるかも知れない。そして脳はさらに構造化され、旧哺乳類脳が立ちあがる。

◎やがて二足歩行する。二足歩行すると脳がさらに発達する。二足歩行の由来には諸説あるが、むしろ脳を発達させるために二足歩行を試みたといってもよい。「進化」の道筋をたどるには、ときに動物を「脳の器」として見たほうがわかりやすくなることが多い(もちろん「遺伝子の乗り物」という見方もあるが)。そして名前が加わる。名前といってもまだ言葉ではない。音と像の対応である。これを実現しているのはハードウエアではない。こころはソフトウエアとしてさらに構造化を進めるようになる。

◎うたがはじまる。すでにネアンデルタール人もうたを歌っていたのかもしれない。連なる音の語り、連なる音のパターン化がはじまる。そして言葉が生まれる。これがさらに一大転機となる。直感でなく、考えることが可能となる。新哺乳類脳がうまれる。イメージだけでなく様々な感覚に言葉を加えて、世界のモデルをもてるようになる。自分を認識し、人を認識し、世界を認識するようになる。この世界模型があるからこそ、瞬時に世界を認識・判断できるようになる。世界模型を利用せず、いま入ってきた刺激・感覚からゼロから認識・判断しようとしたらとてもその場で処理を完結するのは無理である。これはソフトウエア戦略である。

◎「こころが在る」感覚がするのも、この世界模型を見ているからだろう。

◎それまではこころはイメージと感覚の集積だった。それが言葉によって臨機応変に動き回るモデルに飛躍する。さらに文字を発明する。こころは自分をはみでて、都市と社会を形成するようになる。手渡しで人に言葉を伝えることができるようになる。社会という器がこころで満たされるようになる。これは仮想としての存在だが、胸のうちも仮想の存在である。そしてインターネットが生まれる。電子メールは衝撃的だった。もう言葉を印刷する必要もなく文字化することができるようになった。

◎ざっとこころの由来を追う。こころはその仕組みや脳との関係だけでは理解することができない。なによりもどのような道を歩んできたかを知ることが大事だ。

◎「情報」と呼ばれるものが生命の周辺に集中しているのも、このようなこころの有様と無関係ではない。「情報学」はなによりも「こころ学」であることをこころにとめておきたいもの。情報は像である。