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いつか、どこかで。 いったいそんなことばを掛けられてしまうと、どこからか郷愁が湧いて止まらなくなってしまうもの。別段そこには何の約束もないのだが、二人だけの想いを懐にいだくものだ。 |
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ロゴスに遊ぶ。 ロゴスに遊ぶとロゴスに遊ばれる。ことばはいつも去来する。自分と結ばれ人と結ばれ世間と結ばれる。あたりまえのように話すことばを獲得するのにどれだけの時が過ぎたか。 |
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花を愛でる。 花はきっと世間を知らない。そればかりか人でさえ知らないかも知れない。でもそんな花が気になって仕方がないのが人の性分であるか。花のまえでは人はただ人であるばかり。 |
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似ているでござる。 似ようと思っているわけではないが似てしまう。そんな経験は誰にでもある。台風が朝顔の花の開く様に似ていたりしてぎょっとする。自然はいつも何かに似たがって仕方ない。 |
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ほろ酔いかげん。 ほろ酔いの「ほろ」は「微」。かすかでありながらほんのり熱を帯び、溶けだすように浮遊するようなあてどのない感覚。いまここからそこに向かってしまうかも知れない感覚。 |
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へうげものなり。 へうげものとは「ひょうげもの(飄げ者)」。飄々とした歪みが思わぬ世界の淵をふと垣間見せる。織部が茶碗で飄げて見せたのが四百五十年前。バロックのさきがけであった。 |
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飛んでみたい。 飛んでみたいというあこがれは誰にでもある。きっと地上から数ミリ浮き上がるだけでもどれだけの自由を手に入れられることか。さて重力は鎖なのか、はたまた母の愛なのか。 |
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散らしてみせます。 散りぬるをは日本のカタチだ。一切が結ばれてわれがあり、やがて無数に散り一切に溶けこんでいく。ここに心情をはるかにこえた日本的没入感がある。桜の切なさは一切無数。 |
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利休さん。 利休になるぞあはれ、織部になるぞをかし。連星のように舞いつづけたふたりだが、どちらが欠けても茶事が茶の湯になることはなかったろう。一服のなかに、日本が畳まれる。 |
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ぬるすぎずにて候。 ぬるすぎずとはなんとも微妙な感覚か。ぬるくなる手前をふとつかむ。白黒より微妙の無数を愉しむ。それとこれ、そことここのあいだに浄土的ひろがりがある。だそがれの刻。 |
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流浪する。 流浪人は国から国へと流れいく。どうも日本は定まりたがらないようだ。なにもかもが流れている。夕闇の赤提灯には流しがあらわれ、水に流したり、流れに身を任せたりする。 |
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をかし尽くしはいかが。 をかしとはよく言ったもの。「をかし」にはひかれる感覚があり、「あはれ」にはひきこまれる感覚がある。清少納言のをかし尽くしはいうまでもなく日本の皮膚感覚のお手本。 |