◎ 想門カンブリ庵MaMemeMemo II本々堂山水都市クリップ|想本箱|想景人想学想稿集想聞歌縁側

眼の誕生
アンドリュー・パーカー

5億4300万年前、カンブリア紀の大爆発はなぜ起きたのか。なぜ三葉虫は眼を持ったのか。なぜ突然多様な生物が生まれたのか。眼の誕生前後に着目すると進化の意味がおぼろげながら見えてくる。情報の由来、こころの縁起のヒントがここにある。
薬指の標本
小川洋子

柔らかい鉱物のような文体がいつも心をよぎりながら抜けて消失してしまう。そんな物語の作り方をする。日常の外にある事物たちが日常に連なってうごめきはじめる。ピンクフロイドと尾崎翠が香ってくる。そんな様が小気味よい。
茶室とインテリア
内田 繁

「日本の住居は、もしかすると巨大な家具だったのではないか」これにはどきっとした。この一点でガウディとリートフェルトと利休が結ばれる。住まいとは心と身体の器で建築とはなりきらない。住まいを組み立てるのはなによりも好みであり、道具と家具であった。
日本橋檜物町
小村雪岱

小村雪岱は日本橋檜物町で育った。下村観山に師事した彼の手はデザインに富んでいた。その按配感覚が鏡花の『日本橋』の装丁で一世風靡する。やはりこの時分の空気は旧仮名遣いがよい。人の息まで聞こえてきさうだ。
かな
小松茂美

日本はもともとオーラルコミュニケーションの国だった。そこに大陸の言葉と一緒にから文字が入ってくる。その文字を使いながらそのまま日本の言葉に読み替え、さらに日本の言葉に漢字をあてるようになる。これは男手であった。文字がひろまるにつれ、物語も文化のなかを縦横に走るようになり、女たちは「かな」を使いはじめる。紀貫之は女を装ってその「かな」を使った。その消息を聞いておきたい。
近代日本のデザイン文化史 1868‐1926
榧野八束

文字通り近代に的を絞ったデザイン文化史。日本の近代化は、江戸と明治がまったく異なる国ではないかと思わせるほどの変貌振り。「近代」がデザインされた。その消息がとても丁寧に書きこまれている。日本には明治以降、三つのモダニズムがあった。明治には西洋化、大正には箪笥の奥にしまいこんでしまった着物を取りだしてしばしロマンに酔い、昭和には近代機械国家を誕生させる。わずか二百年ほどを疾走した日本であった。懐にはいつもデザイン・マインドを忍ばせていた。屏風に箔目を描きこむ光琳、緻密な幾何学を描く北斎がすでにいる。デザインなるものを学ぶ前に按配感覚に遊んでいた。
歳時記のコスモロジー
北沢方邦

記号学というと無味乾燥な解析学を思い浮かべてしまうかも知れないが、人が生活する空間にはすでに人の流儀がいっぱいに溶けこんでいる。その空間を読み解いていけば、こころのなかの模様がうかびあがってくる。そんな柔らかいこころのかたちがコスモロジーであり、歳時記はそのわかりやすい入り口である。記号学より断然コスモロジーに走りたい。
幼年論
吉本隆明+芹沢俊介

柳田国男は幼児期と学童期のあいだに「軒遊び」の時期を設定して見せた。この時期は母に見守られながら軒で遊ぶ時期だ。軒遊びは人が遊びを身につけるうえでもたいそう大事な遊びだと思うが、このところこの時期が省略されて幼児と学童が結びついてしまっているような気がする。軒遊びでつくられるこころの原型がないままに、学童でいきなりこころが組み立てられてしまう。
透きとおった悪
ジャン・ボードリヤール

90年代はじめに書かれた本。記号学の眼差しで近代そのものを見透かしてみせる。近代はすでにあらゆるものが充足してしまった空間で、もはやユートピアを追いこしてしまう。そしてそこにハイパーリアルが生まれ、悪はそのいたるところに染みこんでいる。政治、経済、文化、悪をハイパーリアルとして見据える。文体も少しハイパーリアル。