March 18, 2008

文化の温暖化


◎どうやら地球環境が温暖化しつつあるばかりでなく、文化そのものが温暖化しつつあるのを切々と感じる。文化とは死を克服する装置であり、こどもは死からもっとも無防備な存在である。そして温暖化する文化の兆候はまずこどもの周辺から見えはじめる。


◎簡単にキレたり、妙に大人びるこどもが多いのは、こどもがおとなの方法を取りこんでなんとか死から身を守る行為であるのかも知れない。とにかく自分たちが安全であるルールを作ろうとするのも同じ行為である。


◎日本では70年代以降にすでにその兆候が見えていたのかも知れない。鍵っ子やゲームセンターに入り浸るこどもたち、政治を考えているわけではないのに反体制的なシンボルをまとうこどもたち、バイクでの暴走や過激な学生運動に走る青年たち、会社や社会への愛着がわかず、職場を転々とする若きサラリーマンたち。昭和30年代をなつかしむおとなたち。ここにはすべてある兆候を感じる。


◎おそらく、文化の温暖化が走りはじめたきっかけのひとつとして。マンション都市とITがある。このどちらも社会のなかでのこどもの居場所をなくしてしまった。そしてそこにはじまる不安が恐るべきこどもたちを走らせた。


◎地球温暖化をくいとめたところで、文化の温暖化がすすめばやがて地上を人は歩かなくなる。地球温暖化は目を開きさえすれば見えるが、文化の温暖化は見えない。文化の温暖化を見るのはなによりも想像力であるということだ。


January 14, 2008

プラスチックスからヒューマネスクへ


このところ世界に蔓延するプラスチックスが気になっている。そろそろヒューマネスクがはじまってよい。


プラスチックスからヒューマネスクへ


November 09, 2007

二つのこと


このところやっと出来るようになったふたつのこと。ひとつめはマルチ・チューニング。たとえば、まったく異なるコンセプト/テイストのデザインを同時にする。ふたつめは睡眠ノート。夜、寝る前に頭のなかのノートを開き、眠りながら考える。ゆっくり考えることができる。


October 15, 2007

文化と闇夜


◎このところ文化の膨張がとめどない。文化が文化を再生産するプロセスのようで、芸能など流行がよく見える領域では特に顕著。テレビとインターネットを人はまだ使いこなしてはいない。ふいに送られてくる刺激に刹那的に反応し、また次の反応を待ってしまう。そんな接し方が大半ではなかろうか。◎刹那的なアクセスが増加すればそのままスピードがあがる。携帯電話はスピードをあげるためのギアであるのかも知れない。◎そんな事情もあってか、文化の奥底に横たわっている死が見えにくくなっている。文化は死を克服するための装置であったはずだが、死が見えなくなってしまうと文化は人を死から守れなくなる。街路を曲がったときにふいにやってきた死の気配に耐えきれなくなり、死に向かって足を踏みだしてしまう。そしてまるでゲームのような死が増える。◎死はもちろん自然なことであるのだが、どうもこのところよく耳にする死は得心がいかない。死でさえも刹那の事件になりつつある。◎ボードリヤールが呼んだ透明な悪は、そんな文化の表層を漂っている。だが、膨張する文化の突端には、透明な悪よりもっと悪である闇夜の気配がする。テロリズムでさえ、その序の口にすぎないかも知れない。


October 06, 2007

お化け櫻


もう十月というのに庭の山櫻が開花する。化け櫻、季節外れの花見かな。



September 20, 2007

森林と砂漠


◎自民党の総裁選の様子を見ていると、このところ砂漠派路線をとってきた政局運営に、いまは森林派の政局運営が望まれているよう。指導より調整という手法。あまりに無防備な状況で指導など仰ぐことはできない。◎自民党以上に傷ついているのは日本かも知れない。安倍政権の「美しい日本」も日本を見たものではなく、ニッポンを見たものだった。そろそろ森がざわめくとき。


September 11, 2007

旅する文字(2)


◎Technoratのi調査調査によれば、2007年3月時点での全ブログ数は7000万ブログ。毎日12万のブログが開設される。これは1秒に1.4のブログが開設されているペース。毎日150万の記事が投稿される。これは1秒に17の記事が投稿されるペース。◎投稿される記事の言語別の上位五言語の比率は、日本語が37%、英語が33%、中国語が8%、イタリア語が3%、スペイン語が3%。日本語と英語が記事の8割を占める。日本語で投稿しているのはほとんど日本人なので、この数字は驚異的。◎おそらくここにも日本の「旅感覚」がひそんでいる。「旅について書きたい想い」「旅を誰かに伝えたい想い」がブログという形式にぴたりとはまる。かつては見知らぬ土地から土地へと身をはこぶことが旅のはじまりであったが、情報がネットから洩れでてくる時代になると、ディスプレイの前でも旅感覚が揺さぶられる。日記など書いたこともない人が、携帯やパソコンでブログに記事をアップする。◎「記事」という用語に日本人がどうもなじめないのは、ブログはやはり「記事」ではなく、「つれづれなるままに書かれるよしなしごと」だからだろう。きっと「日本型SNS」と呼ばれる少し独特のSNS感覚にも同じ消息がある。◎この「旅感覚」は、日本が近代化を邁進させるなかで、心の奥底にしまってきた感覚かも知れない。近代化の中心である都会に対して、田舎に思わず郷愁を感じてしまうのも、ふと温泉につかってみたくなるのも、つい赤提灯に寄ってしまうのも、この旅感覚のあらわれではないか。


◎The State of the Live Web, April 2007

 http://www.sifry.com/alerts/archives/000493.html


September 08, 2007

旅する文字


◎かつて日本の文字は存分に動き回っていた。◎『土左日記』でこれほどまでにありありと像が結ばれるのはなぜか。この像は叙述的・緻密な像ではなく、こころのうたかたに浮かんでは消える像である。おそらく日記は事柄を記録するためのものではなく、なによりも像を結ぶためのものではなかったか。今風に言えば、携帯で撮るムービーの感覚に近いかも知れない。いまのようなムービーの技術がなかった時代に、そんな像を撮っていた。◎その感覚は、なによりも文字のなかにこそひそんでいたのではないか。漢字に飽き足らず、平仮名や片仮名を準備し、さらに訓を準備する。それは像のための工夫であった。枕詞や掛詞、連歌の緻密すぎるとさえ思えるようなルール立てにも同じ感覚がひそんでいる。◎文字ばかりではない。『江戸百景』の大胆な構図も動き回る像を結ぶための工夫ではなかったか。『東海道五十三次』はそれだけで映画を観るような気分だったろう。ここにあるのは「行」の結構だ。さらに『北斎漫画』にいたると、それが「草」で転げ回る。◎この像の動きは、旅である。旅の感覚は、自分が自然のなかを縫って動き回る感覚だ。ここに日本の基本の感覚がある。おそらくは森林の風土感覚にはじまるのだろう。気がつけば、写メールにも、変体仮名にも同じ感覚がひそんでいる。◎さて、人はこころの内の像をどのようにあかしてきたのか。


August 21, 2007

ソフトウエア・サイボーグ


スクリーンとディスプレイ


◎人ほどソフトウエアが巨大化・複雑化した代物はない。死を克服するためには心と文化というソフトウエアがかかせなかった。心と文化は自然のなかに人の知恵や方法を埋めこみ、人が死を怖れることなく暮らせるようにする。


◎映画やテレビ番組は、それぞれ情報の塊にすぎない。だがそれがあるスクリーン(映画館)、ディスプレイ(テレビ)で連続してかけられるようになると、自然のなかで情報が集中する特異点が生まれる。ある場所の情報はそれを読み取ってしまえば次の場所に移ることになるが、テレビとディスプレイは情報がつきることがない。かくして人はその前から容易に離れられなくなる。


◎自然は情報がある場所に集中することはない。情報はなだらかにひろがっている。歳時記はとても大きく深いソフトウエアであるが、自然のなかになだらかに溶けこませている。本も情報の集中をはたしながら自然のなかに溶けこんでいた。


◎スクリーンとディスプレイは自然にはありえない。人がこれだけゲームに熱狂し、アイドルを追いかけ続けるのもスクリーンとディスプレイがあるからだろう。◎スクリーンとディスプレイが誕生してからまだ日が浅い。そろそろ人にとって適正な速度をもった膜としてデザインし直したらどうか。むしろ本をお手本にするとよい。


ソフトウエア・サイボーグ


◎サイボーグというとつい人のハードウエア的延長を思い浮かべてしまうが、人の半分がソフトウエアであることも気にとめたい。おそらく大方の人はインターネットの検索エンジンですら自分の一部と感じているはずであるし、デザイナーにとってはパソコンのデザイン・ツールは自分の一部であるはずだ。◎少し恐ろしいのはゲーマーである。ゲーマーにとってはそのゲームが自分の一部であるとともに、自分がゲームの一部ですらある。


◎人は人のソフトウエア的延長は誕生以来繰り返してきた。いまではそのソフトウエアも、地球をすっぽりおおうほどまでになっている。ガイアの半分はおそらく人の心である。このソフトエア的延長は、おそらく人が死を怖れることなく自然に溶けこもうとした結果である。


◎さて、ハードウエア的延長はなにをもたらすのか。小さな延長は人の機能不全を補い、人的自然をもたらすだろう。だが、際限のない延長は身体を消去し、やがては鉱物になる夢を果たすかも知れない。


August 20, 2007

桃山山人



この色にだけは毎年眼をみはってしまう。


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石塚 徹 Tohru Ishizuka
1956年魚座生。情報から文化、編集、企画、プロデュースまで幅広く活動。最近の関心は、ことばのはじまり、死と文化、分散環境、想、紙と文字、こどもみらい。鎌倉在住。

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